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進歩についていくのは大人の責任

テレビという中年メディアで、LINEについてのネガティブなニュースをよく見かけます。LINEとは何かから始まり、既読の話、詐欺の件、そして本題へ。それはいいんですが、こと小難しいレベルに話が行きそうになると道徳とか倫理みたいな方向に議論が流れるんですよね。言いたいことはわからなくもないですけど、要素が増えると議論が複雑になりすぎて意味をなさなくなる気がします。

技術が進歩してもそれを有効的に使えるようになるまでにはラグがあるわけです。世の中的にはもはや惰性で使ってるとしか思えないもの、例えばFAX。未だに使用頻度が高い人はその存在を疑わない。しかし今はメールがあります。印字の濃淡によるミスもなく、履歴も残るし紙代もいりません。必要があれば印刷もできます。電話も、繋がる前提があってはじめて緊急性に対応できる程度のもので、それがヘッジできるならメールで置き換わっておかしくない。

あと、たまに予定確認されることがあったとして、手帳持ってる人は電話かけながら予定確認できたりできるかもしれませんが、スマホ上に全て入れてる人からすれば電話で予定聞かれてもわかんないし、二度手間三度手間感が強い。繋がらなかったらなおのこと、こっちが折り返さないといけない意味もわかりませんし、それが予定確認するような内容だったらまた電話切ってとか無駄すぎますよね。

もちろん、先端の技術が何もかも優れていて効率的だとは言いませんが、なぜその形になったのかを考えることは非常に重要なのです。それが特に大人になる程、歴史を見てきた事実がありますからね、便利になったなと言いたいはずです。以前、所さんがF-150というトラックを紹介してる時に、スーパーチャージャーは本当に良くなったとおっしゃってました。昔はボンネットから大きな機械が飛び出していて、しかも1時間走ったらエンジン冷ましてまた1時間みたいなものだったと。

それが、遊びだったら昔のそういう趣ある車の良さもあるかもしれません。面倒も自分の責任ですからね。別に仕事だから、遊びほど真面目にやらなくてもいいですけど、だからこそめんどくせえ手続きとか限りなくしたくないわけです。少なくとも俺は。ただでさえ仕事の効率が悪い日本社会なんだから、真面目な仕事に悦を感じてないで考えないといけないことがあるでしょうと。

科学の進歩は前提の転換とも言えます。思考が停止した人は情報のアップデートを怠る以前に前提が旧時代のままなことが多いです。議論を始めても平行線というのは主にその辺に原因があると思っています。世代間の意見の相違もまず背景を整えてからということです。気付いてる大人はそれを踏まえて話を進めることができるので生産的なんでしょうね。

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