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片足を常に同じところに置いてる人

帰る場所がある、というのは一種思い込みで、単にそれは慣れた場所や道筋だったりします。本質的にそこに何があるでもないですが、気持ちがその場所に残っているゆえに認識は帰るとなっているわけです。

そうやって片足を置きつつとなると、多様な価値に触れる機会が減るというケースも出てきます。近しい周囲を見渡したところで何か知った気になる時期もあるとは思います。しかし、そこから一歩動ける人かどうかというのは、今までの自分のルールを変えられるかどうか、という話になります。必要かどうかは別にして

俗にマイルドヤンキーと呼ばれる人や、それに付随する人々は地元というトラバサミから抜けれずにいます。これが図らずも都心の様な中央であれば別段取り上げもしないでしょうけど、辺境においてはその文化的差異から特異な対象として観察されることになります。

また、地理的なことにとどまらず、組織であっても同じように見られる現象であります。

長年蓄積されたものはそうそう抜けることはなく、時勢の変化に沿っていなくともドラスティックにやり方を変えることは難しくなります。排他的、という面で見ればフェーズの転換に気づけないあたりマイルド某と似たようなもんです。

頭が硬いというのも地理的な影響が避けられず、変化を嫌う人種からするとそれが通せる場所へ流れるのは当然であります。広域に優秀さを発揮できる人に無駄なこだわりはない印象がぼくにはあって、それはすなわち固定してる片足の存在がまさにだと思っています。

軸を持てというのを曲解すれば、一つのことに全リソースを割くとも取れますが、それは心柱みたいなもんで、頂点からぶら下がって初めて機能する特殊一般論みたいなものです。ある時期のある状況においてだけ有効だった、は昨今だと短期的に詰みやすいので気をつけないといけません。
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