頭の悪い人と話すときの作法
学校や職場等、環境が変わるごとに付き合う人間の質というのも当然変わってくるわけです。多かれ少なかれ、頭の出来や仕事の成果なんかでふるいにかけられ、適切な位置に落ち着くとステレスは少なく済みます。ただ、方向転換で急なレイヤーの移動が発生するとコミュニケーションの前提が崩壊することがあります。
学生の頃はまだ周りに一定数頭のいい人や理解力のある人がいて、ぼくの拙さでもなんとかなっていました。適当に話しても拾えるくらいに感度の高い人、知識量のある人、経験のある人、そういうもんだと受け入れる人。しかし、社会を横断する際には学生時分に面倒で避けていたような人種とも絡む機会が発生します。これが問題です
例えば、ある話をしていて、こっちが気まぐれで派生的に違う話へ移行した時に
「今そんな話ししてない」
という人がたまにいます。ぼくこういう人が苦手というか、会話続ける気なくすんですよね。
プログラミングじゃないですが
「この話はここで終わります、ここからはその話の延長にあるこういう話をします」
まで言わないと切れ目を認識できないといいますか。とにかく、自分の理解力ではスイッチできない領域のコミュニケーションに不具合を返してくる人がいます。
テレビで、東大生は話が飛躍したりあっちこっちするというのを聞きますが、あれも先回りの際たるもんで、間を抜かしても欲しい以上の回答ができてるとかそういうことだと思います。別にそこまでやれとはいいませんが、かの人種のめんどくさいところは、その至らなさに対してお前が悪いみたいな空気を出すところです。
典型的なチンピラ体質とでもいいませうか
一定以下のアホになると、アホの自己認識すらできていないので、表面的にはアホだと言っていてもプライドがアホを拒否しているケースが多いです。したがって、アホの矜持として責任転嫁に出るしかないわけです。
わかろうとするエネルギーと相手を否定して横並びになったつもりでいるエネルギーは量的には一緒かもしれませんが、作用する方向は真逆であります。横並びで成長なしでも気持ち的に納得するなら、そういうスタンスも別にいいと思いますけどね。
こっちとしては価値のないやり取りで時間を潰すわけにもいかないので、相手の枠に沿っていかに出尽くしを早めるかを考えることに集中します。どうせ大して深堀もできないだろうし、促せば一瞬で枯れる井戸です。
日本に階級はないと言われますが、環境や出自によって暗黙の階級は当然存在しています。違うなーと思えばとっとと環境を変えるのが一番といえば一番。阿呆に作法は本来いらないですからね