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はしゃぐ季節という思い込みが夏の終わりを悲しくさせてる

もうタイトルで全部言い尽くしてる感がありますが、何なんでしょうね。毎年毎年。ひぐらしも鳴かなくなった頃、残暑だけが名残で、でも夜風は涼しくてっていう。そんな気温を感じながら、満喫とは程遠い夏を過ごしたななんて思う訳です。

別に何かを期待してたかというとそうでもなく、事前に計画があったということでもありません。ぼんやり過ぎていくのを眺めつつ、やっぱり何も起きなかったなと。それを惜しみながら秋を迎えたいのかもしれません。めんどくさいです

でも実際ほんとに何もなかった夏って少なくて、振り返れば違う夏なんですよね。たとえそれが自発的であれ受け身であれ、イベントは起きています。

大人に、年齢だけもなってくると無駄に期待というかリターンを多く求めがちになります。ぼくは逆だと思うんですけど、なかなかそううまくはいきません。したがって、従来の夏よりもよりいい夏でなければ、例えば夏っぽさを感じれないとなるんです。

なにがしかにおいても、常に前よりいいパフォーマンスをってことを否定はしませんが、賞味期限と回転速度を考慮すれば限界はあります。それが2.0や3.0と表現されるようなフェーズの転換と言われるもので、いわゆるリゾート的な夏ではない夏の過ごし方を考える必要が出てきます。

子供の時の夏休みの延長でいるつもりはなくても、自分で意識を変えた自覚がなければやはりそれはその線上で生きている可能性が高いですよね。

ちなみに自分は人生がなつやすみ的なメンタルなのでメリハリもクソもない状態が十年以上続いています。怖いな怖いな〜
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