器の大きさを先に決める
自分だけ人と違うなんて思い上がりだよコミックのあさひなぐでこんな台詞がありました。
これはいい方にも悪い方にも言えることですが、違う自覚があった上でどう振る舞っているか、にウェイトがあるように思います。
ぼくは大して勉強のできるクラスタにはいませんでしたが、よりできないクラスタと話していた際、おれはやってもできないけどお前はまだやればできる的なことをよく言われました。この違いをして思い上がりだと思ったことはありませんが、本当にどういうところが違っているかわかっていれば、上記のようなやりとりは発生しないんじゃないかと感じていました。
例えば、エコは水力なら水力で発電できる量だけを使う、若しくは余分に発電しないことを考えます。旅に出るときなら荷物を決めてからカバンではなく、カバンを決めてから入る荷物を選ぶ。こういったアクションに関して、つまり、器のセットは比較的自由に出来るはずなのに適切なサイズと中身のチョイスが不完全だからプロセスと結果が結びつかないわけであります。
ただ、オカルティックなケースも中にはあって、それは財布を長財布の黄色に変える的なアレです。物理的に器を変えてじゃあ金が貯まるなんてまあありえませんし。
もちろん、因果がないとは言い切れませんけど、器を決めるとはそういうことです(どういうことです?)
生まれれば家族という器があるし、地域にはコミュニティという器、会社、国と毎度器をスケールする必要があります。そうはいっても、シードの段階はどうしようもないので、実際には器は決めるわけではなく差の認識と定義を行うだけだったりします