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マニュアルに酔った脳みそ

オートメーションに対して手動をマニュアルと言ったりしますが、この自分で操作するという事に一種の優位性や優越感を持つ人種が少なからずいます。わかりやすいとこで言えば車なんかそうです。
「えー、お前男なのにオートマ限定なん?」
とか、よく聞きます。

カメラ人類もそうじゃないでしょうか。オートじゃ思った絵にならないと言いますし。最近ではドローンでも言いますね、GPS無しで飛ばせてなんぼだと。

この辺は求める結果と必要性で選べばいいと思うんですが、マニュアル好きな人はマニュアルそのものに価値があって欲しいんでしょうね。差別化というか、出来る私凄い的な。

知りませんけど。

ぼくなんかは基本的にめんどくさがりなんで、いざという時以外はマニュアル避けたいわけです。担保というか、最後の手段なんですね。マニュアル。さらに言えばこだわりも極めて薄いせいで、結果に対するフォーカスが幅持ってるんです。好み詰めたらキリないし、100はないから。

技術におんぶに抱っこと言われれば、まあその通りで、やらなくていいことにあまり時間割きたくありません。プロとの境界が問題としてありますが、プロのカバー範囲も年々小さくなり、プロだった人はプロを維持するためにカバー範囲をシフトせざるを得ないんです。まあAIによって仕事が奪われる片鱗といいますか。んな大層な話でも無いですけど

そもそもで言えば完全にマニュアルとかありませんでしょ。機械側に介入の権限を与えてもらって、その領域で作業してるだけで。釈迦の掌みたいなものです。自己満足とはいつも自分で何かを支配した気になってしまい、何かをしていることで手のひらを転がっている事実から意識を剥がされています。

人ですらフルマニュアルとは言えません。何も自分で調整できないし、世の基本はオートな訳です。というより、マニュアルのセットが近代の贅沢というか、そういうのだったんですが、産業革命挟んで再帰した感があるんですよね。したがって、近々の歴史の名残からオートとマニュアルが位置変わったといいませうか。そんな感じ
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