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アナログが便利という背景と、その効用への疑問

スケジュールは手帳派という人が一番例としてわかりやすいです。代表的なところで言えば、電話受けつつだとスマホのスケジュールが開けないなど。あとは電池切れると確認できないとか、データ消えたりバックアップ的な面へのリスクヘッジも多いでしょうか。

まあなんにしても「場合によっちゃまだアナログが…」という人の大半は前提をアナログに寄せて行ってる節があるのではないかと思うわけです。性格なのか脳の癖なのかは知りませんけど、何かしら作業にあたる際、たどるアルゴリズムというのは知識や教養に依存するところが大きいです。それはこなした質や量といった環境にも影響を受けますし、習慣を変えるエネルギー的な問題も孕んでいます。

つまり何が言いたいかというと、上記の例なら”電話で予定”ではなく、メールで受けるなり、専用のフォームを用意するのがデジタルであって、パソコンを介することがアナログで無くなるということとは違うということです。

会話において齟齬があるのは仕方ないですが、聞き慣れた内容がいつも同じと決めつけるのは驕りですらあると思います。紙の予定表を開く方が早く、問い合わせのたびにパソコン開いてられない、という用意されたフレーズを何度と繰り返したのでしょうか。そしてまた今回も同じだと思ったんでしょうね

ずっと開いとけば?

まあどうでもいいと言えばどうでもいいですけどね。楽をするとかしないとか、効率的とか、自分のやり方とか、作業そのものに一家言持つことに価値があると思えば自由にしたらいいです。そこに優位性があったとして、議論する必要性もぼくは感じません。

ただ、いざ自分が同じ様な提案であれ意見を受けたらそうはしません。一応検討はして、現状よりいいなら採用、それ以外なら却下というだけです。こだわりは流動的ですからね、抜け出せなくなった時にはもう手遅れなわけです。

テクノロジーを前提としたコミュニケーションに関しては、旧来の聞けば答える構造が機能しないケースもあるという話ですね。そこを埋めるのがsiriをはじめとしたAIだったり、デジタルネイティブのコミュ力の成果なのかもしれませんがね。知らんけど
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