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七年って節目なのかもね

などと言ってはみたものの、いざ自分の人生に七年目の節があったのか。

振り返れば、2016 , 2009 , 2002 , 1995あたりは微妙にそうと思えなくはないです。むやみにちょうどサイクルがあるとこじつけ感が出てどうなの?と言うところですが、近似的には悪くない精度なのかなあなんて。

して

乃木坂46が2011年の夏にでき、六年七年といった具合で、ぼくが本格的にはまった去年末の段階でもそこそこ仕上がったグループという印象を持ってまして、そんな子達が最近も雑誌でしっかりしたことを話してたりするのを見ると、30過ぎの男は色々思うわけです。

今更自分に期待も何もないですし、これやりたいあれやりたいとかどうでもいいと考えてたりもします。人は自分を映す鏡なんて表現がありますけど、じゃあぼくは何を乃木坂に見てるかといえば、その年数による変化なのかもしれません。

十代二十代の変化と同様なんてもちろん思ってはいませんよ。そのくらいは割り引いて見てます。ただただ変われなくなったら終わりだという意識は常にあって、変わらないものを見ると妙な気分に襲われます。違和感というか気持ち悪さとでもいうんでしょうか

乃木坂上り坂

傾きはいずれ緩くなり、どこかで棚卸し始める、つまり下らないといけないわけです。近年だと40過ぎでそうなる傾向が強いですかね。これがまあ、おろして次ってのがないととてもやってられません。乃木坂はみんなアイドルやりたくて入ったわけではない人が多いと聞きますが、そこにスケールする話でもあると個人的には思っています。

それしかやってこなかった、は幸せだと見るかと言われれば、客観的にはわかりません。それだけやってこれたという成功例で本人が幸せと認識していればそれはそれでいい気もします。継続の先に成功があるというのはコンセンサスですから。そこに区切りや年数で邪魔するのは野暮といえます

七年越えて興が醒めては失うものも小さくなく、年を追うごとに取り返しもつきにくくなります。そんな中にあって自分をどうにか保つというのは悩みの種でもあります。

ぼくは最初から飽きるかやめる前提で取り組みがちなので逆に期間で縛るのがモチベーションを維持するには欠かせなかったりします。ほんとろくでもないです。

まあ一生生きれたら一生生きてるかって問いにも似てますね。いやそうでもないか。
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